ノンフィクション
2007年11月01日
ガンに生かされて
二〇〇二年五月、父の死とともにぼくは自分の病気を知った。
悪性の肝臓ガンである。
それまで心身症に罹ったことはあったが、
まさか自分がガンになるとは想像もしていなかった。
そして、二年後の二〇〇四年五月、がんセンターで余命宣告を受けた僕は、
最後の場所としてここハワイを選び、その三ヶ月後、家族とともに移住を決意した。
移住して四ヶ月、いよいよ二〇〇五年が明けようとしている。
(中略)
あと一時間で、僕は年を越す命を与えられる。
子どもたちもそれを知っていたのか、みんなが眠気を払い集まった。
妻も僕も嬉しかった。
家族がひとつになった。
みんなで僕の命の時間の延長と病気の回復を心から祈ってくれた。
「家族っていいな」と、僕は心から思った。
ふと、ある思いが心にうかんだ。
僕は、いや僕ら家族は、大黒柱が健康だったら、こんなことを感じ取っただろうか?
みんなで一丸となっただろうか?
無理だったに違いない。
もっと他の快楽、享楽、どうでもいいことに、心を振り回されていただろう。
だから、ガンになって、苦しんでいることにありがたみを感じた。
全く不思議な思いである、「ガンになってよかった」なんて・・・・・。
(本書「はじめに」 より)
ガンに生かされて
飯島 夏樹 著
新潮社
(2005/3/30)
著者紹介
1966年、東京都生まれ。
日本人で唯一、8年間ワールドカップに出場し続けた世界的プロウィンドサーファー。
世界戦で数々の入賞経験を持ち、国内大会での優勝も数多い。
また、グアムでマリンスポーツセンターを起業する一方、ウィンドサーフィン専門誌「Hi‐Wind」にエッセイを連載。
2002年5月、肝細胞ガンと診断。
翌年3月、肝移植を受けるため、すべてを引き払ってグアムから日本に移住するも、病院で「移植には適さない」と診断され、うつ病とパニック障害を併発。
家族と友人の励ましにより、うつ病とパニック障害はほぼ克服したが、二度の大手術と様々な治療を施したにもかかわらず、肝臓は悪化。
04年5月、余命宣告を受け、「自分は生かされている」と体感し、偶然出逢った執筆活動に生き甲斐を見出した。
医師とガン患者を主人公とした処女小説『天国で君に逢えたら』はベストセラーとなる。
同年8月、慣れ親しんだハワイに家族で移住。
「最期のときまで物書きを続けたい」と、ネット連載「今日も生かされてます」で精力的に執筆活動を続けていたが、05年2月28日、妻に見守られながら天に召された。
享年38。
目次
はじめに
第1章 ぼくはガンの終末期
第2章 二ヶ月彼方のデッドライン
第3章 身体中の粘膜が破裂してゆく
第4章 命の貯金
あとがき
付記
飯島氏の人生はガンという病気で大きく変わってしまいました。
著者紹介にも書いてありますが、一時は重いうつ病やパニック障害など、
精神的にダメージを受けたそうですが、その後立ち直り、
執筆活動に活路を見出し、ベストセラー書なども執筆しています。
そんな著者が書いた本書は余命宣告後、
終末ケアーでハワイに飛び立ってから書かれたエッセーです。
「天国で君に逢えたら」はフィクションですが本書はノンフィクションで、
飯島氏本人のことを書いています。
そこに書かれていることは、「ガン」を受け入れることにより、
終末を意識し、生きていることの素晴らしさです。
ですから闘病に対する苦しみを乗り越えてというようなものはなく、
生きることの素晴らしさ、生かされていることに対しての感謝などが語られています。
私たちは夜寝て朝目が覚めること、ご飯が食べられること、外を自由に歩き回れること、
普段何気なくしていることがらは当たり前だと思っています。
しかしそれらは当り前ではなく、感謝に値するということがわかります。
本書の中で「生かされている」という言葉が沢山出てきますが、
「生きている」のではなく「生かさせている」という点にも気づかせてくれました。
健康でいるとついつい見落としてしまがちな普段の生活。
幸せを求めるけれど今ある幸せに見向きもしない愚かさに気づかせてくれる文章には、
普段いかに自分が高慢に生きていたかが浮き彫りにされました。
著者の飯島氏は自身のことを終末期(ターミナル)と呼び、
いつ死が訪れてもおかしくない病状で一日一日を大切に生きています。
この一日一日を大切に生きるということを健康でいる私たちは忘れてしまっています。
「あなたが無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人の痛切に生きたかった明日でもある」
という言葉を思い出しました。
残念ながら2005年の2月28日に飯島氏は天国へ旅立たれましたが、
飯島氏の思いはしっかり本書に残っていると思います。
今回の
ガンに生かされて
は読みやすく、またとてもためになる書でした。
普段の何気ない光景がまるで素晴らしいことのように描写されているところは、
本当に日々幸福に満ちていたのではないかと思ってしまいます。
私は実際にガンを経験したわけではないのでこのようなことは言えませんが、
ガンからくる痛みや苦しみは想像を絶すると聞きます。
しかし、そのような痛みのことを書いている文章でも、
暗い気持ちにさせることはなく、とても好感がもてるものでした。
心に響く言葉も随所にあり、「生」に対する発見や気づきも与えられると思います。
ですから、すべての人におすすめできる書です。
飯島夏樹さんの公式ブログです。
http://natsuki.air-nifty.com/
フジテレビで放映された
『天国で逢おう ― 末期がんウィンドサーファーの家族』です。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお目を通していただき、ありがとうございます。
---------
3,306歩
今日のおすすめ本
ガンに生かされて
飯島 夏樹 著
新潮社
(2005/3/30)
悪性の肝臓ガンである。
それまで心身症に罹ったことはあったが、
まさか自分がガンになるとは想像もしていなかった。
そして、二年後の二〇〇四年五月、がんセンターで余命宣告を受けた僕は、
最後の場所としてここハワイを選び、その三ヶ月後、家族とともに移住を決意した。
移住して四ヶ月、いよいよ二〇〇五年が明けようとしている。
(中略)
あと一時間で、僕は年を越す命を与えられる。
子どもたちもそれを知っていたのか、みんなが眠気を払い集まった。
妻も僕も嬉しかった。
家族がひとつになった。
みんなで僕の命の時間の延長と病気の回復を心から祈ってくれた。
「家族っていいな」と、僕は心から思った。
ふと、ある思いが心にうかんだ。
僕は、いや僕ら家族は、大黒柱が健康だったら、こんなことを感じ取っただろうか?
みんなで一丸となっただろうか?
無理だったに違いない。
もっと他の快楽、享楽、どうでもいいことに、心を振り回されていただろう。
だから、ガンになって、苦しんでいることにありがたみを感じた。
全く不思議な思いである、「ガンになってよかった」なんて・・・・・。
(本書「はじめに」 より)
ガンに生かされて飯島 夏樹 著
新潮社
(2005/3/30)
著者紹介
1966年、東京都生まれ。
日本人で唯一、8年間ワールドカップに出場し続けた世界的プロウィンドサーファー。
世界戦で数々の入賞経験を持ち、国内大会での優勝も数多い。
また、グアムでマリンスポーツセンターを起業する一方、ウィンドサーフィン専門誌「Hi‐Wind」にエッセイを連載。
2002年5月、肝細胞ガンと診断。
翌年3月、肝移植を受けるため、すべてを引き払ってグアムから日本に移住するも、病院で「移植には適さない」と診断され、うつ病とパニック障害を併発。
家族と友人の励ましにより、うつ病とパニック障害はほぼ克服したが、二度の大手術と様々な治療を施したにもかかわらず、肝臓は悪化。
04年5月、余命宣告を受け、「自分は生かされている」と体感し、偶然出逢った執筆活動に生き甲斐を見出した。
医師とガン患者を主人公とした処女小説『天国で君に逢えたら』はベストセラーとなる。
同年8月、慣れ親しんだハワイに家族で移住。
「最期のときまで物書きを続けたい」と、ネット連載「今日も生かされてます」で精力的に執筆活動を続けていたが、05年2月28日、妻に見守られながら天に召された。
享年38。
目次
はじめに
第1章 ぼくはガンの終末期
第2章 二ヶ月彼方のデッドライン
第3章 身体中の粘膜が破裂してゆく
第4章 命の貯金
あとがき
付記
飯島氏の人生はガンという病気で大きく変わってしまいました。
著者紹介にも書いてありますが、一時は重いうつ病やパニック障害など、
精神的にダメージを受けたそうですが、その後立ち直り、
執筆活動に活路を見出し、ベストセラー書なども執筆しています。
そんな著者が書いた本書は余命宣告後、
終末ケアーでハワイに飛び立ってから書かれたエッセーです。
「天国で君に逢えたら」はフィクションですが本書はノンフィクションで、
飯島氏本人のことを書いています。
そこに書かれていることは、「ガン」を受け入れることにより、
終末を意識し、生きていることの素晴らしさです。
ですから闘病に対する苦しみを乗り越えてというようなものはなく、
生きることの素晴らしさ、生かされていることに対しての感謝などが語られています。
私たちは夜寝て朝目が覚めること、ご飯が食べられること、外を自由に歩き回れること、
普段何気なくしていることがらは当たり前だと思っています。
しかしそれらは当り前ではなく、感謝に値するということがわかります。
本書の中で「生かされている」という言葉が沢山出てきますが、
「生きている」のではなく「生かさせている」という点にも気づかせてくれました。
健康でいるとついつい見落としてしまがちな普段の生活。
幸せを求めるけれど今ある幸せに見向きもしない愚かさに気づかせてくれる文章には、
普段いかに自分が高慢に生きていたかが浮き彫りにされました。
著者の飯島氏は自身のことを終末期(ターミナル)と呼び、
いつ死が訪れてもおかしくない病状で一日一日を大切に生きています。
この一日一日を大切に生きるということを健康でいる私たちは忘れてしまっています。
「あなたが無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人の痛切に生きたかった明日でもある」
という言葉を思い出しました。
残念ながら2005年の2月28日に飯島氏は天国へ旅立たれましたが、
飯島氏の思いはしっかり本書に残っていると思います。
今回の
ガンに生かされて
は読みやすく、またとてもためになる書でした。
普段の何気ない光景がまるで素晴らしいことのように描写されているところは、
本当に日々幸福に満ちていたのではないかと思ってしまいます。
私は実際にガンを経験したわけではないのでこのようなことは言えませんが、
ガンからくる痛みや苦しみは想像を絶すると聞きます。
しかし、そのような痛みのことを書いている文章でも、
暗い気持ちにさせることはなく、とても好感がもてるものでした。
心に響く言葉も随所にあり、「生」に対する発見や気づきも与えられると思います。
ですから、すべての人におすすめできる書です。
飯島夏樹さんの公式ブログです。
http://natsuki.air-nifty.com/
フジテレビで放映された
『天国で逢おう ― 末期がんウィンドサーファーの家族』です。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお目を通していただき、ありがとうございます。
---------
3,306歩
今日のおすすめ本
ガンに生かされて飯島 夏樹 著
新潮社
(2005/3/30)
2007年04月10日
だから、あなたも負けないで
イクバル・マッシはパキスタンの貧しい家に生まれました。
そしてイクバルが四歳のとき、父親はこう言ったのです。
「イクバル、明日からお前はカーペット工場で働くんだ」
幼いイクバルには、父親の言う意味がよく分かりません。
<どうして僕がカーペット工場で働くんだろう?>
イクバル・マッシは、わずか十六ドルのローンを返済するため、
カーペット工場に売られ、働かされることになったのでした。
爪に火を灯すような生活をしている南アジアの貧しさは、
豊かな先進国に生きる私たちにとって想像を絶するものがあります。
イクバルは、一ヶ月にたった一ドルの賃金で、一日十二時間から十六時間、
休日を与えられることもなく毎日働かされました。
「お前は親の借金のためにここへ売られてきたんだ。小さいからといって容赦はしない・・・」
幼い子どもにとって、家族と離れ離れになり、その孤独の中で日々過酷な労働を知られることは、どれほどの苦しみなのでしょう。
(本書「第一話」 より)
だから、あなたも負けないで
シンシア・カーシー 著
リチャード・H・モリタ 訳
イーハトーブフロンティア
(2001/10/26)
本書の一人の著者シンシア・カーシーは、14年間にわたる米スプリント・コミュニケーションズ社セールス&マーケティング部門トップビジネスパーソンのキャリアを持ち、
作家、講演家でもあります。
現在は豊富な経験と人間関係を活かし、コンサルティングやボランティア活動を積極的に行っているそうです。
本書の英語の題名は、「UNSTOPPABLE (誰にも止められない)」であり、
その題名の如く、一度自分の信念を築き上げたら、決してひるむことなく、
自分の目標に向け突き進んでいった人たちの感動物語で、
11話あるストーリーは全てノンフィクションです。
まずは目次です。
第1話 クレイグ・キールバーガー&イクバル・マッシ
第2話 レグソン・カイラ
第3話 ジェームス・ロビンソン
第4話 スティーヴン・キャネル
第5話 トム・ハーケン
第6話 リンダ・ブレムナー
第7話 ノリーン・エアズ
第8話 ユーラ・ホール
第9話 シェリー・ポー
第10話 メアリー・ジョアン・ウィラード
第11話 リック&ディック・ホイト
エピローグ
冒頭の話は、本書の第1話「グレイグ・キールバーガー&イクバル・マッシ」の
書き出しの部分です。
ここから分かるように、本書の目次のタイトルは、その物語の主人公の名前です。
もう一人の名前のグレイグ・キールバーガーはカナダのトロントに生まれ、
何不自由なく育ってた少年です。
イクバル・マッシはその後どうなったのか、グレイグ・キールバーガーとどういう関係なのか、
気になるとことだと思います。
その後の話をかいつまんで書いてみます。
当然イクバルは学校にも行けず、労働と不当な扱いによって栄養失調になるという、
労働者というより奴隷のような生活を送っていました。
時がたち、イクバルが10歳のとき、人権運動に携わる人々の力によって助け出されます。
イクバルは自由の身になるのですが、まだ南アジアには自分と同じ不当な扱いによって
働かされている子どもたちがたくさんいます。
「子どもを奴隷のように働かせるのはやめてください!」
イクバルはその子たちも救おうと、心の叫びとなって自分の体験を多くの人に話しました。
やがて、この叫びは多くのメディアに取り上げられ、イクバルはパキスタンの自由の象徴として、
国際的なヒーローになったのです。
しかし、イクバルのこの行動をよく思わない人の手により、12歳のとき暗殺されてしまうのです。
このニュースを新聞の記事で知ったカナダに住む12歳の少年グレイグ・キールバーガーは、
その内容に怒りを覚え、"子どもたちを不当な労働から解放する運動を、自分が引き継ごう"
と決心するのです。
まずは自分が感じたことを友だちに伝え、みんなに協力してもらう必要があると思い、
南アジアで不当に扱われている子どもたちの実態を図書館に通い新聞や雑誌、
人権問題に関する本などをかたっぱしから読んでいきました。
グレイグはこの問題を知れば知るほど
「書かれていることを読んだだけではダメだ」
と感じるようになります。
そしてその思いは
「イクバルが働かされていた工場に行ってみたい」
という抑えきれない気持ちに変わっていきました。
グレイグは両親にそのことを話すのでが、
一人では地下鉄に乗ることさえできない年齢の少年が
パキスタンに行くのは無理だとさとされます。
しかし、グレイグの決心は揺るぎません。
グレイグは自分の持っているおもちゃを売り始め、
パキスタンまでの渡航費用を捻出しようとするのです。
そんな息子の行動に両親は感動し、パキスタン行を許可し援助をします。
人権運動家からのアドバイスも受け、より多くの情報も得て、
グレイグは7週間に及ぶ南アジアの旅に出るのです。
この旅は1995年のことです。
グレイグは行く先々でショッキングな光景を目のあたりにします。
本や新聞で見たものとは、比べものにならないリアルな体験でした。
一日11時間もキャンディーの袋詰めをしている少女、
蒸し暑い作業場でサッカーボールを縫い合わせている裸足の少年。
グレイグは子どもたちに話しかけてみます。
はじめ口を閉ざしていた子どもたちも、自分と同じ年のグレイグに心を許したのか、
次第に大人には話したことのない自分たちの本当の思いを話し始めます。
何度も鞭で叩かれたこと、友達が病気で死んだこと、勉強をしたいが学校に行かせてもらえないことなど、大人の人権保護運動家も知ることがなかった本音をグレイグは聞くのです。
グレイグは南アジアの実情をメモに取り、写真を取り、ビデオにも記録しました。
そして、目的地のパキスタンにつき、イクバル・マッシのお墓をお参りするのです。
時を同じくして、カナダの首相もアジアに外交訪問をしていました。
グレイグは南アジアの子供の現状を伝えたいとコンタクトを求めるのですが
相手にしてくれません。
しかし、マスコミはグレイグの噂を聞きつけその行動を連日報道しました。
この報道はカナダでも大変大きな反響を呼ぶのです。
トロントに帰ったグレイグは、この旅で得た情報や自分の感じたことを両親や親戚、
友達に話しました。
自分の撮ったビデオや写真を見せながら、
いかにひどい状況のなかで子どもたちが働かされているかを伝えたのです。
グレイグの話には説得力があり、真実を自分の目で確かめた話は大人に負けない、
それ以上の迫力がありました。
グレイグとクラスメイトは、「フリー・ザ・チルドレン」という子供の人権を守るグループを結成し、
より多くの情報を集め、運動を効果的に展開するために作戦を練っていきます。
「フリー・ザ・チルドレン」の活動は日に日に大きくなり、
カナダの労働組合のコンペでグレイグはスピーチをしました。
労働組合のリーダーたちは協力を約束し、15万ドルもの寄付を申し出ました。
この活動はカナダでどんどん広がり、行政も無視できない存在となりました。
トロント市長は「トロント市は、いかなる状況であっても、子供を雇用し、過酷な労働を強いることは法律で禁止する」と宣言したのです。
そしてカナダの首相の代理である外務大臣から電話で
「カナダの特使としてアメリカの国会に行き、スピーチをしてくれないか」との要請が来るのです。
グレイグはこの申し出を快く引き受けアメリカに向かい、多くの人に語りかけたのです。
現在「フリー・ザ・チルドレン」の活動は、カナダ、アメリカだけでなく、
ヨーロッパ、アジアにと国際的に拡大していき、何千ものグループができています。
地球の反対側で、別々に育った二人の少年のココロが目に見えない糸で通じ合い、
不当に働かされている子どもたちの現状を伝え、大勢の人の考え方を変え、法律を変え、
二億人以上いる過酷な労働条件の中で働かされている子どもたちの命を救う活動をしているのです。
「子どもにも権利があります。子どもの可能性を摘み取らないでください」
グレイグ・キルバーガーは、今も叫び続けています。
(本書「第1話」P8〜P22 より抜粋、要約)
あまりにもいい話なので、簡単に書くつもりがつい力が入って要約になってしまいました。
こんな心を動かす話を本書は11話も載せています。
第7話は小説家になるために35年間も出版社に投稿し続けたベストセラー作家の話で、
あきらめなければ夢は必ず叶うことを教えてくれます。
最後の11話は、今年3月15日放送の「奇跡体験! アンビリバボー」の後半、
「感動のアンビリバボー」のコーナーで「CAN やればできる」
という題名で取り上げられ、ご覧になった方も多いかと思います。
その他にも紹介したいのですが、残りはぜひ本書でお読みになってください。
私の下手な要約以上に胸が打たれることと思います。
今回の
「だから、あなたも負けないで」は、とても読みやすく一気に読み切れてしまいます。
感動の話の連続で、思わず眼がしらが熱くなってしまうものも多くあります。
オムニバスなのでどの話から読んでも構わないので、
ちょっとした心の休養に読むのもいいかも知れません。
本書は希望と勇気を与えてくれ、英語の題名「UNSTOPPABLE」が表しているように、
「継続は力なり」を教えてくれる書でもあります。
いま何かに自分の心が向かっている人にはおすすめ書ですが、
すべての人にも読んでもらいたい一冊です。
目的がなく、流されるままに生活されている方も、
本書を読めば熱い心に火が点くことでしょう。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお目を通していただき、ありがとうございます。
---------
4,546歩
今日のおすすめ本
だから、あなたも負けないで
シンシア・カーシー 著
リチャード・H・モリタ 訳
イーハトーブフロンティア
(2001/10/26)
そしてイクバルが四歳のとき、父親はこう言ったのです。
「イクバル、明日からお前はカーペット工場で働くんだ」
幼いイクバルには、父親の言う意味がよく分かりません。
<どうして僕がカーペット工場で働くんだろう?>
イクバル・マッシは、わずか十六ドルのローンを返済するため、
カーペット工場に売られ、働かされることになったのでした。
爪に火を灯すような生活をしている南アジアの貧しさは、
豊かな先進国に生きる私たちにとって想像を絶するものがあります。
イクバルは、一ヶ月にたった一ドルの賃金で、一日十二時間から十六時間、
休日を与えられることもなく毎日働かされました。
「お前は親の借金のためにここへ売られてきたんだ。小さいからといって容赦はしない・・・」
幼い子どもにとって、家族と離れ離れになり、その孤独の中で日々過酷な労働を知られることは、どれほどの苦しみなのでしょう。
(本書「第一話」 より)
だから、あなたも負けないでシンシア・カーシー 著
リチャード・H・モリタ 訳
イーハトーブフロンティア
(2001/10/26)
本書の一人の著者シンシア・カーシーは、14年間にわたる米スプリント・コミュニケーションズ社セールス&マーケティング部門トップビジネスパーソンのキャリアを持ち、
作家、講演家でもあります。
現在は豊富な経験と人間関係を活かし、コンサルティングやボランティア活動を積極的に行っているそうです。
本書の英語の題名は、「UNSTOPPABLE (誰にも止められない)」であり、
その題名の如く、一度自分の信念を築き上げたら、決してひるむことなく、
自分の目標に向け突き進んでいった人たちの感動物語で、
11話あるストーリーは全てノンフィクションです。
まずは目次です。
第1話 クレイグ・キールバーガー&イクバル・マッシ
第2話 レグソン・カイラ
第3話 ジェームス・ロビンソン
第4話 スティーヴン・キャネル
第5話 トム・ハーケン
第6話 リンダ・ブレムナー
第7話 ノリーン・エアズ
第8話 ユーラ・ホール
第9話 シェリー・ポー
第10話 メアリー・ジョアン・ウィラード
第11話 リック&ディック・ホイト
エピローグ
冒頭の話は、本書の第1話「グレイグ・キールバーガー&イクバル・マッシ」の
書き出しの部分です。
ここから分かるように、本書の目次のタイトルは、その物語の主人公の名前です。
もう一人の名前のグレイグ・キールバーガーはカナダのトロントに生まれ、
何不自由なく育ってた少年です。
イクバル・マッシはその後どうなったのか、グレイグ・キールバーガーとどういう関係なのか、
気になるとことだと思います。
その後の話をかいつまんで書いてみます。
当然イクバルは学校にも行けず、労働と不当な扱いによって栄養失調になるという、
労働者というより奴隷のような生活を送っていました。
時がたち、イクバルが10歳のとき、人権運動に携わる人々の力によって助け出されます。
イクバルは自由の身になるのですが、まだ南アジアには自分と同じ不当な扱いによって
働かされている子どもたちがたくさんいます。
「子どもを奴隷のように働かせるのはやめてください!」
イクバルはその子たちも救おうと、心の叫びとなって自分の体験を多くの人に話しました。
やがて、この叫びは多くのメディアに取り上げられ、イクバルはパキスタンの自由の象徴として、
国際的なヒーローになったのです。
しかし、イクバルのこの行動をよく思わない人の手により、12歳のとき暗殺されてしまうのです。
このニュースを新聞の記事で知ったカナダに住む12歳の少年グレイグ・キールバーガーは、
その内容に怒りを覚え、"子どもたちを不当な労働から解放する運動を、自分が引き継ごう"
と決心するのです。
まずは自分が感じたことを友だちに伝え、みんなに協力してもらう必要があると思い、
南アジアで不当に扱われている子どもたちの実態を図書館に通い新聞や雑誌、
人権問題に関する本などをかたっぱしから読んでいきました。
グレイグはこの問題を知れば知るほど
「書かれていることを読んだだけではダメだ」
と感じるようになります。
そしてその思いは
「イクバルが働かされていた工場に行ってみたい」
という抑えきれない気持ちに変わっていきました。
グレイグは両親にそのことを話すのでが、
一人では地下鉄に乗ることさえできない年齢の少年が
パキスタンに行くのは無理だとさとされます。
しかし、グレイグの決心は揺るぎません。
グレイグは自分の持っているおもちゃを売り始め、
パキスタンまでの渡航費用を捻出しようとするのです。
そんな息子の行動に両親は感動し、パキスタン行を許可し援助をします。
人権運動家からのアドバイスも受け、より多くの情報も得て、
グレイグは7週間に及ぶ南アジアの旅に出るのです。
この旅は1995年のことです。
グレイグは行く先々でショッキングな光景を目のあたりにします。
本や新聞で見たものとは、比べものにならないリアルな体験でした。
一日11時間もキャンディーの袋詰めをしている少女、
蒸し暑い作業場でサッカーボールを縫い合わせている裸足の少年。
グレイグは子どもたちに話しかけてみます。
はじめ口を閉ざしていた子どもたちも、自分と同じ年のグレイグに心を許したのか、
次第に大人には話したことのない自分たちの本当の思いを話し始めます。
何度も鞭で叩かれたこと、友達が病気で死んだこと、勉強をしたいが学校に行かせてもらえないことなど、大人の人権保護運動家も知ることがなかった本音をグレイグは聞くのです。
グレイグは南アジアの実情をメモに取り、写真を取り、ビデオにも記録しました。
そして、目的地のパキスタンにつき、イクバル・マッシのお墓をお参りするのです。
時を同じくして、カナダの首相もアジアに外交訪問をしていました。
グレイグは南アジアの子供の現状を伝えたいとコンタクトを求めるのですが
相手にしてくれません。
しかし、マスコミはグレイグの噂を聞きつけその行動を連日報道しました。
この報道はカナダでも大変大きな反響を呼ぶのです。
トロントに帰ったグレイグは、この旅で得た情報や自分の感じたことを両親や親戚、
友達に話しました。
自分の撮ったビデオや写真を見せながら、
いかにひどい状況のなかで子どもたちが働かされているかを伝えたのです。
グレイグの話には説得力があり、真実を自分の目で確かめた話は大人に負けない、
それ以上の迫力がありました。
グレイグとクラスメイトは、「フリー・ザ・チルドレン」という子供の人権を守るグループを結成し、
より多くの情報を集め、運動を効果的に展開するために作戦を練っていきます。
「フリー・ザ・チルドレン」の活動は日に日に大きくなり、
カナダの労働組合のコンペでグレイグはスピーチをしました。
労働組合のリーダーたちは協力を約束し、15万ドルもの寄付を申し出ました。
この活動はカナダでどんどん広がり、行政も無視できない存在となりました。
トロント市長は「トロント市は、いかなる状況であっても、子供を雇用し、過酷な労働を強いることは法律で禁止する」と宣言したのです。
そしてカナダの首相の代理である外務大臣から電話で
「カナダの特使としてアメリカの国会に行き、スピーチをしてくれないか」との要請が来るのです。
グレイグはこの申し出を快く引き受けアメリカに向かい、多くの人に語りかけたのです。
現在「フリー・ザ・チルドレン」の活動は、カナダ、アメリカだけでなく、
ヨーロッパ、アジアにと国際的に拡大していき、何千ものグループができています。
地球の反対側で、別々に育った二人の少年のココロが目に見えない糸で通じ合い、
不当に働かされている子どもたちの現状を伝え、大勢の人の考え方を変え、法律を変え、
二億人以上いる過酷な労働条件の中で働かされている子どもたちの命を救う活動をしているのです。
「子どもにも権利があります。子どもの可能性を摘み取らないでください」
グレイグ・キルバーガーは、今も叫び続けています。
(本書「第1話」P8〜P22 より抜粋、要約)
あまりにもいい話なので、簡単に書くつもりがつい力が入って要約になってしまいました。
こんな心を動かす話を本書は11話も載せています。
第7話は小説家になるために35年間も出版社に投稿し続けたベストセラー作家の話で、
あきらめなければ夢は必ず叶うことを教えてくれます。
最後の11話は、今年3月15日放送の「奇跡体験! アンビリバボー」の後半、
「感動のアンビリバボー」のコーナーで「CAN やればできる」
という題名で取り上げられ、ご覧になった方も多いかと思います。
その他にも紹介したいのですが、残りはぜひ本書でお読みになってください。
私の下手な要約以上に胸が打たれることと思います。
今回の
「だから、あなたも負けないで」は、とても読みやすく一気に読み切れてしまいます。
感動の話の連続で、思わず眼がしらが熱くなってしまうものも多くあります。
オムニバスなのでどの話から読んでも構わないので、
ちょっとした心の休養に読むのもいいかも知れません。
本書は希望と勇気を与えてくれ、英語の題名「UNSTOPPABLE」が表しているように、
「継続は力なり」を教えてくれる書でもあります。
いま何かに自分の心が向かっている人にはおすすめ書ですが、
すべての人にも読んでもらいたい一冊です。
目的がなく、流されるままに生活されている方も、
本書を読めば熱い心に火が点くことでしょう。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお目を通していただき、ありがとうございます。
---------
4,546歩
今日のおすすめ本
だから、あなたも負けないでシンシア・カーシー 著
リチャード・H・モリタ 訳
イーハトーブフロンティア
(2001/10/26)
2007年02月27日
ウィーンわが夢の町
私の名前は、アンネット・ストゥルナート Annet Strnadt 。
しかし、パスポートに記載されている氏名は「カズエ・ストゥルナート」である。
「日本人だった」頃の氏名は「高島一恵」といった。
ほかに、「川崎一恵」「川崎アンネ」だった時期もある。
子供の頃、私は母から「アンネちゃん」とニックネームで呼ばれていたことがある。
現在の国籍はオーストリア。
職業は歌手。
ウィーン国立歌劇場の団員である。
この舞台に立ち続けて、すでに三六年以上の年月が流れた。
ほかにも、ウィーン・フォルクスオパールやザルツブルク音楽祭、ザルツブルク復活音楽祭、
ヨーロッパ各地の音楽祭、教会のミサなど、多くの場所で歌っている。
近年は、一年の半分近くを日本で過ごすことが多い。
校舎なき音楽大学ともいえる「声楽アカデミー」をつくり、後進の指導にあったている。
(本書「序章」より)

ウィーン わが夢の町
書誌データ / 書評を書く

今回の本の著者、アンネット・ストゥルナートさんは、31歳のとき単身でヨーロッパに渡り、
東洋人として始めてウィーン国立歌劇場の団員になった方です。
しかし、その道のりはあまりにも波乱に満ちたものでした。
本書は、そんな波乱万丈の著者の自叙伝です。
まずは目次です。
序章
第一章 上海へ
第二章 大陸放浪
第三章 岡山・吹屋にて
第四章 一家離散、広島へ
第五章 東京にて
第六章 合唱団の日々
第七章 ロシアへ
第八章 ウィーンにて
第九章 ウィーン国立歌劇団へ
第十章 オペラ座の日々
第十一章 そして今日まで
あとがき
こんなに数奇な運命を生きてきた方はそうそういないのではないでしょうか。
アマゾンの商品説明
にある著者略歴を見ただけでも、その壮絶さが伺えると思います。
普通の人が人生の中でこれだけ理不尽な状況を経験したらば、
尋常ではいられないと思います。
人生に対して否定的になったり、人間不信や精神的な異常をきたしたり、
ましてや自分の夢を追いかけようなんていうことは到底考えることはないでしょう。
著者は歌手になるという思いだけで、その幾多の試練を乗り越えていきます。
乗り越えると言うよりは、むしろその試練に耐え、そのことにより歌への思い入れが
一層強くなっていったと言ったほうがいいのかもしれません。
でも著者も私たちと同じ人間です。
途中、精神的に不安定になり3度もの自殺を試みるという弱さもあったのです。
けれど、いつも間一髪のところを助けられすべて未遂に終わります。
ここのところは神がかりと言いますか、運命のようなものを強く感じました。
極貧生活、いじめ、中傷、早すぎる母親との別れ、人種差別・・・
人生のあらゆるマイナス要因を経験した著者の背後には、必ず誰かの助けがありました。
人生は一途な思いと行動力があれば、
誰かしらが手を貸してくれるということがわかりました。
それはまるで神が手を差し伸べているようにも感じられます。
著者自身もウィーンで生活し始めてからそのことに気が付き始め、
『私は、「守護天使(シェッツエンジェル)」の存在を信じるようになっていた。
どんなつらいことがあってもどんなに嫌なことがあっても私には「守護天使」がついている。
そして、必ず助けてくれるのだと』
書き記しています。
人生には幾多の試練や苦難はつき物ですが、
夢や希望を失わない限りそれらに打ちのめされることはないと本書は教えてくれます。
人生につまずき投げやりになっていたり、落ち込んでいたりしている時は、
結論を急ぎすぎているのだと本書を読んで感じました。
うまく物事が運ばない今現在も、貴重な人生のワンシーンであることに気づくために、
本書を多くの方が読まれることを希望します。
『つらい経験は二度としたくありませんが、今は、そのすべてに感謝しています。
過去のすべての時間が、私を作り上げてきたのですから』
と、著者が「あとがき」で述べているように、
自分の人生を振り返った時に、すべてを受け入れることができたなら、
それは成功物語となるのではないでしょうか。
今回の
ウィーンわが夢の町
も「本が好き!」プロジェクトで献本を受けたものです。
先に読まれた方々の書評から良書と思い申請してみました。
本書は話の展開が早く、息をつく暇もなく一気に読めてしまいます。
そしてその内容は先に読まれた方々の書評通り素晴らしいものでした。
人生は波乱万丈と言いますが、ここまで波乱に満ちた人生を歩む人はごくわずかだと思います。
次から次へと訪れる試練や苦難をやり過ごす姿は私たちに勇気と希望を与えてくれます。
人生に不満のある人、自分は報われていないと思う人は、ぜひ本書を読んでみてください。
いかに自分が恵まれているかがわかることと思います。
すべての人に読んでもらいたい一冊です。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお目を通していただき、ありがとうございます。
---------
3,328歩
今日のおすすめ本

ウィーン わが夢の町
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しかし、パスポートに記載されている氏名は「カズエ・ストゥルナート」である。
「日本人だった」頃の氏名は「高島一恵」といった。
ほかに、「川崎一恵」「川崎アンネ」だった時期もある。
子供の頃、私は母から「アンネちゃん」とニックネームで呼ばれていたことがある。
現在の国籍はオーストリア。
職業は歌手。
ウィーン国立歌劇場の団員である。
この舞台に立ち続けて、すでに三六年以上の年月が流れた。
ほかにも、ウィーン・フォルクスオパールやザルツブルク音楽祭、ザルツブルク復活音楽祭、
ヨーロッパ各地の音楽祭、教会のミサなど、多くの場所で歌っている。
近年は、一年の半分近くを日本で過ごすことが多い。
校舎なき音楽大学ともいえる「声楽アカデミー」をつくり、後進の指導にあったている。
(本書「序章」より)

ウィーン わが夢の町
- 著:アンネット・カズエ・ストゥルナート
- 出版社:新潮社
- 定価:1470円
書誌データ / 書評を書く

今回の本の著者、アンネット・ストゥルナートさんは、31歳のとき単身でヨーロッパに渡り、
東洋人として始めてウィーン国立歌劇場の団員になった方です。
しかし、その道のりはあまりにも波乱に満ちたものでした。
本書は、そんな波乱万丈の著者の自叙伝です。
まずは目次です。
序章
第一章 上海へ
第二章 大陸放浪
第三章 岡山・吹屋にて
第四章 一家離散、広島へ
第五章 東京にて
第六章 合唱団の日々
第七章 ロシアへ
第八章 ウィーンにて
第九章 ウィーン国立歌劇団へ
第十章 オペラ座の日々
第十一章 そして今日まで
あとがき
こんなに数奇な運命を生きてきた方はそうそういないのではないでしょうか。
アマゾンの商品説明
普通の人が人生の中でこれだけ理不尽な状況を経験したらば、
尋常ではいられないと思います。
人生に対して否定的になったり、人間不信や精神的な異常をきたしたり、
ましてや自分の夢を追いかけようなんていうことは到底考えることはないでしょう。
著者は歌手になるという思いだけで、その幾多の試練を乗り越えていきます。
乗り越えると言うよりは、むしろその試練に耐え、そのことにより歌への思い入れが
一層強くなっていったと言ったほうがいいのかもしれません。
でも著者も私たちと同じ人間です。
途中、精神的に不安定になり3度もの自殺を試みるという弱さもあったのです。
けれど、いつも間一髪のところを助けられすべて未遂に終わります。
ここのところは神がかりと言いますか、運命のようなものを強く感じました。
極貧生活、いじめ、中傷、早すぎる母親との別れ、人種差別・・・
人生のあらゆるマイナス要因を経験した著者の背後には、必ず誰かの助けがありました。
人生は一途な思いと行動力があれば、
誰かしらが手を貸してくれるということがわかりました。
それはまるで神が手を差し伸べているようにも感じられます。
著者自身もウィーンで生活し始めてからそのことに気が付き始め、
『私は、「守護天使(シェッツエンジェル)」の存在を信じるようになっていた。
どんなつらいことがあってもどんなに嫌なことがあっても私には「守護天使」がついている。
そして、必ず助けてくれるのだと』
書き記しています。
人生には幾多の試練や苦難はつき物ですが、
夢や希望を失わない限りそれらに打ちのめされることはないと本書は教えてくれます。
人生につまずき投げやりになっていたり、落ち込んでいたりしている時は、
結論を急ぎすぎているのだと本書を読んで感じました。
うまく物事が運ばない今現在も、貴重な人生のワンシーンであることに気づくために、
本書を多くの方が読まれることを希望します。
『つらい経験は二度としたくありませんが、今は、そのすべてに感謝しています。
過去のすべての時間が、私を作り上げてきたのですから』
と、著者が「あとがき」で述べているように、
自分の人生を振り返った時に、すべてを受け入れることができたなら、
それは成功物語となるのではないでしょうか。
今回の
ウィーンわが夢の町
も「本が好き!」プロジェクトで献本を受けたものです。
先に読まれた方々の書評から良書と思い申請してみました。
本書は話の展開が早く、息をつく暇もなく一気に読めてしまいます。
そしてその内容は先に読まれた方々の書評通り素晴らしいものでした。
人生は波乱万丈と言いますが、ここまで波乱に満ちた人生を歩む人はごくわずかだと思います。
次から次へと訪れる試練や苦難をやり過ごす姿は私たちに勇気と希望を与えてくれます。
人生に不満のある人、自分は報われていないと思う人は、ぜひ本書を読んでみてください。
いかに自分が恵まれているかがわかることと思います。
すべての人に読んでもらいたい一冊です。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお目を通していただき、ありがとうございます。
---------
3,328歩
今日のおすすめ本

ウィーン わが夢の町
- 著:アンネット・カズエ・ストゥルナート
- 出版社:新潮社
- 定価:1470円
書誌データ / 書評を書く












